大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)3075号 判決 1974年4月26日

控訴人

富士重工業株式会社

右代表者

大原栄一

右訴訟代理人

成富安信

外一名

被控訴人

野口ヤエ子

右訴訟代理人

大森鋼三郎

外四三名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人がその主張のとおり、控訴会社に雇用され、譴責処分に付され、現にその主張のとおりの職場に勤務していることは、当事者間に争いがない。

二本案前の抗弁について

当裁判所も控訴人主張にかかる本案前の抗弁は失当であると判断する。

1被控訴人が受けた本件譴責処分は、控訴会社の就業規則の定めにもとづき懲戒処分の一種としてされたものであることは当事者間に争いがなく、同就業規則が被控訴人と控訴人との間の労働契約内容の一部を構成することはいうまでもないところであり、本件譴責処分は右契約にもとづく処分行為であつて、同契約上の被控訴人の法的地位に影響を与える法律行為に属し、その法律行為が前記労働契約内容の一部である就業規則の適用上、その要件の具備いかんによつて有効であるか無効であるか、そして現在における被控訴人の右法的地位に有効な譴責処分が付着しているものであるか否かが不安定な状態にあるので、その効力を争うことについては確認の利益があるというべきである。もつとも、右処分の被控訴人の前記地位に及ぼす影響が余りに軽微であつて、同処分の効力の有無を争う意味が認められない程度のものであるとすれば、確認の利益を欠くことになるといわねばならない。この点につき控訴人は、本件処分後最初になされた賞与の支給に際して、被控訴人が前記成績配分の支給を受けられなかったのは、本件処分そのものによるのではなく、従前からの慣行にしたがい処分の対象となるような非行が存在したことによるものであり、その他本件処分によって何らの不利益をも受けていないと訂正陳述するが、被控訴人において本件譴責処分以外に成績配分の支給を受けられない事由となるべき処分の対象となるような非行の存在については別段の主張立証がないのであるから、仮に被控訴人に対する右処分が要件を欠いて無効であるとすれば、当然に控訴人の主張する成績配分の判断基準となつた非行そのものも存在しなかったことになり、右配分上の賞与の支給を受けられたものとみられ、その意味において、被控訴人が昭和四四年冬の賞与支給に際し成績配分の支給を受けられなかつたのは、本件譴責処分そのものの効果によるものと推認するのが相当である。しかも、企業内の懲罰たる懲戒処分の一種としての譴責処分が、これを受けた者のその後における賞与の支給、昇給、昇格その他の待遇のうえに何らかの不利益な取扱いを受けるであろうことは自明の理であり、またそのような意義と影響がないのならば、あえて就業規則上の処分とするまでもなく、たんに事実上の注意を与えるだけでこと足りるはずであつて、本件処分による右影響が後に説示するとおり軽微なものであるとはいえ、延いて確認の利益を欠く程に微少なものであるということはできない。

2次に控訴人は、本件苦情処理委員会の決定した結果は当事者双方を拘束する旨が労働協約のうえに明定されているため、その拘束力により同委員会の最終的判断と牴触する主張を、協約当事者はもとよりのこと、救済を求めた被控訴人も裁判上なし得ないと抗争する。

労働組合は、使用者との間に締結した労働協約の解釈適用について生じた紛争を解決するため、企業内の労使双方の委員をもって構成する苦情処理委員会でこれを処理しうるほか、組合員たる労働者に対してなされた懲戒処分の適否のような就業規則の解釈適用に関する紛争、とくに組合員が違法不当な懲戒処分によつて自己の権利を侵害されたとしてその救済を求めてきたとき、これを苦情処理委員会で処理することを妨げるものではない。そして、右手続により就業規則の解釈適用に関する最終的判断が示された場合、協約当事者たる労使双方がこれに拘束されるのはもとよりであるが、元来労働組合は組合員たる労働者固有の労働契約上の権利に関して処分権限を有しないため、たとえ労働者に対する懲戒処分につき苦情処理委員会で最終的判断がなされたとしても、労働者が当然それに拘束され、改めてその紛争の処理を訴訟の手段に求めることを禁止する効果を生ずるものと解することはできない。すなわち、苦情処理の対象が労働者個人の労働契約上の権利に関する就業規則の解釈適用であるときは、そこで示された最終的判断は、当労働者との関係においては、労使間で紛争を自主的に解決する努力をすることを定めたにとどまり、とくに右労働者において以後その紛争の処理を訴訟手続に訴えない旨の合意(不起訴の合意)の存在が認められないかぎり、さきに苦情処理手続の対象とした事項についての訴の提起を当然に不適法とならしめるものではない。

これを本件についてみるのに、被控訴人が後に認定する苦情処理委員会のした最終的判断に服し本件懲戒処分の不存在ないし無効の確認、すなわち譴責処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認を訴求しない旨の合意をしたことについては、何らの主張立証もない。してみれば、苦情処理手続を経由した事案であるからといつて、そのこと自体から直ちに本件訴の提起が不適法となるものではなく、控訴人の右本案前の抗弁は理由がない。

三本件懲戒処分の適否について

控訴会社が本件処分をするにあたつてした「被控訴人に対する事情の聴取に至るまでの経過」および「被控訴人に対する事情の聴取」に関する事実関係についての当裁判所の認定は原判決書の当該理由欄に記載されているのと同じであるからこれを引用し、なお当審において新たに援用した証拠をもつてしても、右認定を左右するものではない。

ところで、労働者が使用者に対し全人格的な行動の自由まで提供し、無定量の忠実義務を負うものではなく、特定のいわゆる管理職的職務にあたるものでないかぎり、企業内の秩序維持については格別の職責を有するものではない。しかし、通常の労働者であつても、その担当する職務遂行に関連して直接見聞した企業秩序違反の事項について、使用者側による調査にある程度の協力をなすべき義務のあることも自明の理であるといわねばならない。ただ、その見聞の機会がどの程度に担当職務と関連するか、また見聞した事項が果たして企業秩序に違反するか、さらにその程度、範囲、右調査の当否、それに対しどの程度の協力をするかは、秩序違反と疑われた事項、調査の方法、当該各労働者の担当職務の内容、企業内での当時の一般秩序の状況、使用者と労働者または労働組合との間の信頼関係など諸般にわたる複雑な関連において具体的個別的に決せられるべきであり、さらにその協力義務違反を理由とする処分の内容、程度とも微妙にかかわるところである。

本件についてこれをみるのに、被控訴人に対する本件譴責処分は、前示のとおり被控訴人の労働契約上の地位に単に軽微な影響を与えるにすぎないとはいえないにしても、控訴会社自体が賞与の支給についてはもとより、その他の点につき何らの影響をも与えていないと強弁することはともかくとして、<証拠>からしても、本件処分によつて被控訴人が賞与の受給査定などにおいて全く影響を受けていなかつたとまでは断定できないが、当面昇給その他において特段の差別的取扱を受けている事情も認められず、一般に譴責処分は懲戒処分としては最も軽微なものであることからしても(たとえば解雇、出勤停止のような重大な懲戒処分とは異なる)、裁判所が前記協力義務の存否、同義務違反の成否、程度などを判断するにあたつては、本件企業内における労働組合の代表的立場にある者の前記諸点に関する評価判断を無視すべきではなく、裁判所がこれを排して独自の評価判断をするには、むしろ後記のような特別の事情を要するものと解すべきである。

次に被控訴人が本件処分を不当として、控訴人主張のとおり苦情処理機関の裁定を受けたことは当事者間に争いがなく<証拠>を総合すると、右苦情処理に際し審査裁定にあたつた第一審の本社苦情処理委員会の控訴会社を代表する委員は、同会社が指定した池田津田両人事部副部長、中里同部人事課長、佐野同部研修課長および森下同部人事課員の五名であり、第二審たる中央苦情処理委員会の控訴会社を代表する委員は、同会社が指定した太田人事部長および右五名であり、また第一審たる本社苦情処理委員会で組合を代表する委員は、佐藤本社支部執行委員長、高田同副執行委員長、鈴木同書記長、森、藤村両執行委員の五名であり、前記第二審たる中央苦情処理委員会で組合を代表する委員は、染宮本部副中央執行委員長、金田同書記長、井上、森川、鈴木、高橋各執行委員の六名であつたこと、苦情処理委員会の裁定は、事実上委員全員の意見が一致しないと結論を出さないのが従前より一貫した慣行であること(したがつて、前記第一、第二審の苦情処理委員会が被控訴人の本件苦情申立をそれぞれ棄却する旨の裁定するについても、労使双方の委員全員の意見が一致してなされたものと推認する)が認められ、これに反する証拠はない。そうだとすれば前記各裁定にあたつて、本件企業内の労使関係の各代表者的立場にあつた前記各委員会の全員、とりわけ労働組合の代表者的立場にある全委員が右の各裁定について必要な前示本件譴責処分に関する諸事情を審査考慮して、被控訴人には就業規則にもとづく前示協力義務があり、しかもこれに違反するものがあつたと認定したものというべきであり、その結論にいたつた前示微妙な諸事情の判断は当裁判所もこれを相当なものとして尊重すべきであり、それによれば本件処分は妥当なものであつたというほかはない。

もとより被控訴人が前記苦情処理手続を利用し、その裁定を受けたからといつて、当然にその拘束を受け、訴訟上の救済を求める権能を失うものでないことは前示のとおりであり、被控訴人が自らの意思によつて、直ちに訴訟上の救済を求めることなく、進んで苦情処理手続による途を選択し、その最終的判断を得たのであるから、当然その裁定にしたがうべきであるとの形式論を採るものではない。しかしながら、企業内にあつて最もよく前示微妙な諸事情を認識し、かつ、判断できる苦情処理委員会の委員、ことに組合側の委員を含む全員一致の意見による結論については、本件譴責処分自体について明白かつ重大な違法不当がなく、また苦情処理手続が著しく不当であつてとうてい公正な解決を期待できなかつたとか、判断の前提となる事実に明らかな誤認があるなど特別の事情が存在する場合でないかぎり、裁判所もその結論を尊重し本件処分の適否判断にこれを採り入れるべきであるとするのである。そして、本件の全証拠を検討してみたところによつても、被控訴人が本件譴責処分を不服として救済を求めた前記各苦情処理委員会における手続などにつき前記のような特別の事情の存在することが認められず、また前記引用の認定事実によれば、被控訴人に対してした控訴会社の調査の範囲、方法などが適切であつたか否か全く疑問の余地がないとはいえないが、他面前示諸事情によつては、その範囲、方法などが全く不当違法であるとも、被控訴人の協力義務を超えるものであつたともいえない微妙なものであることも否定できず、他に本件譴責処分に不当ないし違法があるとする事情を認めるのに足りる証拠は見当らない。

なお、前記苦情処理委員会の委員のなかに、本件処分に直接関係した担当職員を加わつていたことは前示のとおりであるが、同委員会の裁定がなされるには構成委員の全員一致によるとの慣行が確立しており、格別反証のない本件では右各委員会の裁決もまた全員一致の結論によるものと推認するほかないこと前示のとおりであるとすれば、右の各裁定に本件処分の直接の担当職員が加わつていたとしても、これをもつて不公正不当とすることはできないし、前記のように企業内において労働組合の代表者的立場にある委員の参加した労使委員全員一致による結論を尊重することは、一面において労使間の協力によつて労働問題を自主的に解決し、ひいては労使関係の健全な成長に資するゆえんともなるというべきである。

してみれば、本件譴責処分はこれを違法なものとして無効とすべきではなく、同処分の無効を前提とする被控訴人の本訴請求は失当たるを免れない。

四よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は不当であり、本件控訴は理由があるので、民事訴訟法三八六条に則り原判決を取り消したうえ被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(畔上英治 上野正秋 岡垣学)

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